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反撃!!

今日は稽古に行けなかったので、以蔵さんがらみの話を一つ、ていうか!!
先日読んだ本の内容にオイラは怒りました!! とんでもなく主観だけで歴史を捉えてる作家がいたので!ホント、そんなんでよう作家といえるなと思いましたッ。マジでマジでマジで。

何かというと、以蔵さんの辞世についての記述。
以蔵さんの辞世を紹介した上で、以蔵の歌は嘘であって、彼が歌をよめるはずがないと書いてあったのです。て、

なにぬかしやがるッ!!

読めるか読めないかをどう見極め、しかも断定したんだ!! アホだとでもいうのか!!? 仮にアホだとするなら、砲術の知識を会得しているというまぎれもない事実はどう説明する気なのだ!! 字が読み書きできなければ歌は読めないのか!!?

まあ、感情論はこのへんにして、史料や当時の慣習を挙げて反論します。オイラの以蔵さんの辞世が彼本人によるものと確証できる最大の根拠は、
●以蔵さんの辞世の歌が載っている史料が上士・佐々木高行の日記であること。
●史料が日記である以上、後世の創作とは考えにくい。また、佐々木がそこを改ざんする必要がどう考えても彼自身になく、下士以下を人間とみなさないといわれた上士がその辞世を残すあたり、信憑性が高い。
●辞世というのは武士階級において、最後の言葉であり、おのれの生涯を総括する上で最も重要であること。それがたしなみでもあったといえます。以蔵さんが武士の意識をもっていたことは間違いない。人に習い、作ったのではないかといえないか。
  また、これもオイラの勝手な予測ですが、おそらく死というものに常に接していた以蔵さんはあらかじめこの手のものを用意していたのではないかと。

まあ、以上を踏まえた上で以蔵さんの辞世の真偽をみなさんで判断してくださいな。オイラは佐々木高行がおそらく以蔵の検死役として死に立ち会ったのでないかと思うんですが。
あと、同じ寄稿に武市の三文字の切腹がわからないと記してありました、。それは大いなる勉強不足です。自分がわからないことを棚に上げて、武市瑞山がよくわからない死に方をしたとしている。
切腹には一文字・三文字・十文字など、やり方というか作法が沢山あるのです。そこを理解しないで「意味がわからない」と言い切るその無学!!

歴史で!?を持ったら追究するのが携わる歴史家や作家の役目です。それが故人や先人に対する敬意であり、ひいては供養にもなるわけです。主観と客観を合わせ持ち、想いを正しく汲みとってこそ、歴史を学ぶといえるのではないでしょうか。もちろん、汲み取ったものを人生に反映しないといけませんね。
by hossynoblog | 2006-09-01 00:03 | 舞台屋 batch


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