カテゴリ:日本史 研究中( 12 )

日本史とその弟子

二番弟子(元三番弟子)がもうすぐ旅立ちます。そのお話をしようと思います。

だいぶやきもきしましたが、無事、受験戦争を突破し、次のステップに進んでいきます。

僕自身は日本史が好きで愛していても、その道には進まなかったので、スゴいと純粋に思います。

どんな成長を見せてくれていくのか、先が本当に楽しみです。


出会いから話を起こすと長くなるので、簡潔に。舞台演劇での関わりでは相当親しかったなあ、と思います。

僕の脚本で立ってくれたり、スタッフをしてくれたり(まさに苦闘を共に乗り越えました)、アシスタントをしてくれたり。

最後に立った舞台、その本番を観れなかったのは本当に残念だったけれど。

あと、その他で言えば、日本史ワークショップでは出席率が高かったですし。


手塩にかけた、というとおこがましいですが、伝えておきたいことはちゃんと伝えたと思っています。

歴史観を持つ必要性という最大の目的も伝えましたし。

日本史年表・地図と司馬史観の名言集たるものも渡しましたし。


しっかし、最初に「日本史ワークショップを受けてわかりました。日本史の道へ進みたい!」ということを言ってくれた時の僕の嬉しさと、同時に来る勝手な責任の痛感といったらありませんでした。

とりあえず舞い上がって舞台屋織田組のメンバーに報告したのを覚えています(笑)


「太宰、その最後の愛人」を、というより山崎富栄さんと太宰治(こっちは思うところありて呼び捨てw)とをこよなく愛してくれていたのも彼女でした。富栄さん研究は師弟のライフワークになりそうです。

そして、僕が常日頃から言っている「間違った評価をされている人物が再評価されていくようにしていかなきゃいけない」の最大の理解者でもあります。


そんな彼女は「古文書が読めるようになりたい」と言ってまして。

これ、僕にはできないことなので、これはいよいよ追い越されるフラグが立ったな、と今や戦々恐々です(笑)


僕が主催した日本史ワークショップは先日、最終回を迎え、一番弟子も遠方ながら駆けつけてくれて、あっという間の3時間で幕を下ろしました。

そうして帰る前に三番弟子(当時w)が「今日でお会いできるのは(新潟で)最後かもしれません」と言うので、その時に思いつく限りの会話をしました。そうして見送りました。


僕もそうして帰ったわけですが、自分も二ヶ月後、この地を去るので、なんだか寂しさが込み上げてきました。

そして思っていました。なにか足りてないんじゃないか、もっとかけるべき言葉があるんじゃないかと、ワークショップで疲労困憊ながら、帰りに考えてました。

本当に師匠として役割を果たし切ったのか、と。

ので、そこでまず「今後は二番弟子として接する」という、今思えばわけのわからんおっさんのたわごとを伝えた次第。我ながらそれがどうした、です(笑)


そうこうしていたら、その翌日、職場に来てくれました。僕はちゃんと「二番弟子だよ」と口頭で伝えました。

本当、おっさんなにしてんだよ、ですが。

そのまま帰途が一緒になり、僕らは降りる駅が同じなので、帰りの電車で師弟うちそろって日本史への熱い想いを語りました。

お互いの好きな人物のこと、山崎富栄さんのこと、これが正しいを断じてしまう必要はないかもしれないこと。

どれだけの想いを伝えたか。少なくとも、その前日よりずっとずっと伝えきった感覚がありました。

そしてどれだけの想いを聞いただろうか、と。でも、しっかり受け取ることができていました。


……この出会いが僕にとってどれだけの宝物か、想像しても想像しても果てがないぐらいの幸せです、心底。


大好きな小説「銀河英雄伝説」でシェーンコップがこんなことを言います。

「はたしてヤン・ウェンリーはユリアン・ミンツの師であったか。それともユリアン・ミンツはヤン・ウェンリーの弟子であったか」

これに置き換えて僕らはどちらとなるのでしょうか。


僕の望みは決まっています。

「僕は彼女の師であった」


ちなみにこの後にも渡す物があってまた会ってます。

そして師から弟子に「元気で行ってらっしゃい」を。


思うんですよね。

ここから先、彼女は日本史の道に進むため、旅立つのではなく、飛び立つ。

いやでもなくて、はばたく


だから負けてられませんね、道を示した師匠としては!


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by hossynoblog | 2018-03-25 23:32 | 日本史 研究中

日本史ワークショップ 4&5

こんな感じでチラシです。いよいよ来週ですなあ。
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by hossynoblog | 2016-10-18 23:31 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 36~40

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

40. 楠木正成 1294?-1336
河内の人か。大楠公。後醍醐天皇の召還に応じて挙兵。赤坂城・千早城に立て籠ってゲリラ戦法で幕府軍を翻弄。後、建武の新政が頓挫し、足利尊氏が東上すると迎撃を命ぜられる。必勝の戦術を献策したが容れられず、湊川での激戦の末、敗れて自刃。

39. 高杉晋作 1839-67
長門萩の人。松下村塾に学び、師・吉田松陰の刑死後は上海に留学。帰国して尊皇攘夷運動に身を置き、馬関戦争の交渉役になる。長州藩を保守派が占めると奇兵隊を率いて功山寺にて挙兵、藩政を奪還する。四境戦争を指揮して幕軍を破るが、肺結核で死去。

38. 太宰治 1909-48
青森県津軽の人。文学の道を志し上京、井伏鱒二の弟子となる。心中未遂を起こした後、三鷹に移り住んで「走れメロス」「富嶽百景」などを執筆。没落貴族を描いた「斜陽」をヒットさせるも「人間失格」の執筆からまもなく、愛人の山崎富栄と入水自殺する。

37. 長宗我部元親 1539-99
土佐の人。本山氏と国主の一条氏を倒して土佐を掌握する。織田信長と同盟を結び、三好氏の没落に乗じて阿波と讃岐、本能寺の変後に伊予を攻略して四国を統一する。が、豊臣秀吉の四国征伐で降伏。九州征伐で嫡男・信親を失い、失意のうちに没する。

36. 源義家 1039-1106
源頼義の長男。八幡太郎。父と共に前九年の役を戦い、安倍氏を滅ぼす。更に陸奥守となって藤原清衡と共に後三年の役で清原氏を滅ぼすも私闘とみなされた。院昇殿を許されたが、弟の義綱と争い、子の義親も朝廷に反旗を翻すなど家中の問題に苦慮した。


#マイ列伝
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by hossynoblog | 2016-09-08 21:40 | 日本史 研究中

遂に開催!日本史ワークショップ 1

日本史ワークショップ
第1回「好きな人物編」


12月18日(金) 19:00~21:00
新潟市中央区 万代市民会館 4階 403・404 大研修室

参加費 無料
定員 なし


飛び入り参加もOK!
好きな歴史上の人物を3人以上決めてお越しください!
できたら一言それぞれコメントを!


趣旨:
苦手な人を好きに。好きな人を更に好きに。そして、人生に役に立つ段階へと。
それが日本史ワークショップの矜持です。全6回予定

【第1回内容】
まずは導入として参加者の皆さんの好きな人物を列挙してもらって、より深く追求し、オリジナルの列伝を作っていきます。
時間余れば「桶狭間の戦い」を戦略と戦術の両側面からHEX式(見下ろしMAP)で解説していこうと思います。
今後は「日本史10人の天才編」「悪人たちを再評価編」なんて側面からやっていこうと企んでます。

自己紹介:
8歳で日本史のバイブルと呼んでる「まんが 少年少女 日本の歴史」から興味を持ち始める。
中学では「歩く歴史辞書」、高校では日本史の偏差値75で教師から「日本史のエリート」と評される。
両親と祖父が小学校の教師。なぜおまえはならなかった、と時々自問自答しているアラフォー。
ちなみにとあるインターネット日本史問題集で約65000人中132位になったが、前に131人もいるのが許せないでいるw

そんな男のワークショップです!
ふるってご参加くださいませ!
あ、ここで参加意思くださってもOKです!
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by hossynoblog | 2015-11-28 22:53 | 日本史 研究中

マイ列伝 さくいん  9/8更新

クリックすると詳細が出ます。

1.織田信長 2.豊臣秀吉 3.徳川家康 4.源義経 5.坂本龍馬

6.聖徳太子 7.武田信玄 8.上杉謙信 9.毛利元就 10.西郷隆盛

11.平清盛 12.足利尊氏 13.伊達政宗 14.徳川慶喜 15.大村益次郎

16.明智光秀 17.宮本武蔵 18.徳川吉宗 19.源頼朝 20.平将門

21.真田幸村 22.井伊直弼 23.今川義元 24.卑弥呼 25.近藤勇

26.藤原道長 27.勝海舟 28.足利義満 29.大石内蔵助 30.石田三成

31.北条早雲 32.大久保利通 33.景行天皇 34.日野富子 35.秋山真之

36.源義家 37.長宗我部元親 38.太宰治 39.高杉晋作 40.楠木正成

41.原田甲斐 42.斎藤道三 43.藤原清衡 44.伊藤博文 45.東洲斎写楽

46.北条政子 47.姉小路頼綱 48.大友宗麟 49.山本五十六 50.柳生十兵衛

51.土方歳三 52.平賀源内 53.前田利家 54.春日局 55.北条時宗



続く
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by hossynoblog | 2015-10-15 23:14 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 31~35

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

35. 秋山真之 1868-1918
伊予の人。海軍兵学校を首席で卒業後、日清戦争に従軍。戦後、イギリスへ留学する。日露戦争では東郷平八郎の作戦参謀となり、旅順口攻撃・旅順港閉塞作戦にも参加。バルチック艦隊の動きを読み、日本海海戦を勝利に導く。晩年は日蓮宗に帰依した。

34. 日野富子 1440-96
足利義政の正室。今参局を讒言により追放し、義政の弟・義視が将軍継嗣となると嫡子・義尚を産んで対抗する。山名宗全を後ろ楯に諸家の家督争いを巻き込んで応仁の乱が勃発する。乱後、義尚が遠征中に陣没し権力を失うが、明応の政変を契機に復帰する。

33. 景行天皇 BC13-130
第12代天皇。即以後、九州の熊襲が反乱を起こすと自ら赴いてこれを鎮める。熊襲が再度反抗すると、息子の日本武尊を遣わして鎮圧させ、東国の蝦夷が反抗した際にも鎮圧に向かわせる。伊吹山の戦いの後、日本武尊が亡くなるとその死を悼んだという。

32. 大久保利通 1838-78
薩摩の人。お由良騒動で家が没落するも、島津久光が実権を握ると側近として京で活躍。倒幕の密勅を得て王政復古を成す。維新後は岩倉使節団で欧米に渡るが征韓論争で帰国。内務省で国政に腐心し士族の反乱鎮圧を指揮したが、紀尾井坂にて暗殺される。

31. 北条早雲 1432-1519
伊勢の人。伊勢宗瑞。幕府の申次衆とも。妹婿の今川義忠が戦死して起きた内紛を仲裁。拝領した興国寺城を拠点に堀越御所の混乱に乗じて足利茶々丸を滅ぼす。また狩りに乗じて大森氏の小田原城を奪取。相模の三浦氏をも滅ぼして後北条氏の祖となる。

#マイ列伝
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by hossynoblog | 2015-10-15 23:12 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 26~30

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

30. 石田三成 1560-1600
近江長浜の人。豊臣秀吉の小姓で、秀吉が関白となると能吏として活躍。朝鮮出兵では総奉行を務めるも武断派と対立。秀吉の死後、徳川家康の台頭に対抗したが、武断派の襲撃に遭って失脚。関ヶ原の戦いでは西軍の指揮をとったが、敗れて斬首された。

29. 大石内蔵助 1659-1703
播州赤穂の人。名は良雄。筆頭家老だったが、主君・浅野長矩の殿中刃傷事件で藩はお取り潰しに。山科に閑居し、再興のために尽力するも失敗。江戸へ下向して浪士たちを指揮し、仇とされる吉良上野介の邸宅に討ち入る。後、幕府の裁定により切腹。

28. 足利義満 1358-1408
足利三代将軍。父・義詮が早世し、細川頼之の補佐を得て将軍となる。花の御所を拠点に山名氏・大内氏など有力守護大名の力を削ぎ、南北朝の合一も果たしていく。出家して金閣寺を建てると、明に朝貢して勘号貿易を推進。更に皇位を狙うも急死する。

27. 勝海舟 1823-99
幕臣。安房守。幕府使節として咸臨丸で渡米。帰国後、海軍奉行並として神戸海軍操練所を創設する。徳川慶喜に疎まれたが、第二次長州征伐で停戦交渉、戊辰戦争では徹底抗戦論を退けて江戸城の無血開城を成し遂げる。維新後は徳川家の名誉回復に奔走した。

26. 藤原道長 966-1028
藤原兼家の五男。御堂関白。兄たちの急死後、甥の伊周と争う。伊周自滅後、娘・彰子を一条天皇に入内させる。が、次の三条天皇とは対立。退位を迫って孫の後一条天皇を即位させ、外祖父として摂政になり、権力を掌握する。晩年は浄土信仰に傾倒した。

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by hossynoblog | 2015-10-14 14:29 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 21~25

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

25. 近藤勇 1834-68
武蔵多摩の人。浪士組の募集により西上。壬生浪士組を結成し、後に芹沢鴨を暗殺して新撰組として新生、局長となる。会津藩の庇護下で池田屋事件を指揮して名を挙げるも内部粛清で組織は減退。戊辰戦争では甲陽鎮撫隊を指揮するが捕縛され、板橋にて斬首。

24. 卑弥呼 ?-248?
邪馬台国の女王。鬼道に通じた巫女とされ、政治面は弟に任せて神事を司っていた。三国時代の魏に朝貢して親魏倭王の称号を授かる。卑弥呼の死に際しては奴隷百余人が生き埋めになり、以降は争いが絶えず、一族の娘・台与が女王に即位してようやく収まった。

23. 今川義元 1519-60
駿河・遠江の人。臨済宗の僧だったが、兄たちの死で花倉の乱が起き、異母兄・玄広恵深を討って当主となる。治政に優れ、更に三河も併合して武田・北条と甲相駿三国同盟を結ぶ。その後、尾張へと侵攻したが、織田信長の急襲に遭って桶狭間山で討たれた。

22. 井伊直弼 1815-60
近江彦根の人。埋木舎で若き折を過ごし、甥の死などで彦根藩主となる。将軍継嗣問題で南紀派に属し、堀田正睦が失脚すると大老に就任。懸案の日米修好通商条約を調印し、反対する者を罰して安政の大獄を起こす。後、水戸浪士らに桜田門外で暗殺された。

21. 真田幸村 1567-1615
信濃の人。通名・幸村。始め上杉氏や豊臣秀吉の人質となる。関ヶ原の戦いでは父・昌幸と西軍について徳川秀忠軍を上田城に足止めする。戦後、九度山に配流となるが、脱出して大坂の陣に参加。夏の陣では徳川家康の本陣へ突入、壮烈な戦死を遂げる。


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by hossynoblog | 2015-10-13 19:21 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 16~20

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

20. 平将門 903?-940
桓武天皇の玄孫。都で藤原忠平に仕えていたが、伯父・国香らが領地を侵したため帰郷。伯父たちを敗走させる。以降、常陸国府の命令を拒否して攻められ、破るも朝敵となってしまう。新皇を称して独立したが、国香の子・貞盛や藤原秀郷によって討たれる。

19. 源頼朝 1147-99
源義朝の三男。平治の乱で捕らえられ、伊豆に流されるが、以仁王の令旨を受けて挙兵。富士川の戦いに勝利後、鎌倉に拠点を置いて武家政権を樹立。平家滅亡後、功労者の弟・義経を追い落とし、匿った奥州藤原氏を滅ぼす。後に征夷大将軍となるも、落馬死。

18. 徳川吉宗 1684-1751
紀伊の人。父や兄の急死により紀州藩主となる。やがて将軍家継の後継者争いで尾張継友に競り勝ち、八代将軍に就任。享保の改革を開始し、新田開発、足高の制、公事方御定書、目安箱の設置、小石川療養所の設立などを行い、幕府中興の祖と呼ばれる。

17. 宮本武蔵 1584?-1645
美作の人。剣客。16~29歳までの間に60余戦の決闘に勝利したとも。京での吉岡一門、佐々木小次郎との巌流島の決闘以後は本多忠刻と交流、夢想権之助と戦う。大坂の陣や島原の乱にも従軍。晩年は細川忠利の庇護のもとで五輪書を完成させる。

16. 明智光秀 1528?-82
美濃の人。織田信長と足利義昭の仲介をし、両者に仕えて出世。反信長包囲網の中で奮戦し、畿内・丹波の攻略に携わる。中国地方の攻略に向かうが、転進して本能寺の変を起こし、信長を討つ。羽柴秀吉との山崎の戦いの後、敗走中に土民に襲われて落命。


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by hossynoblog | 2015-09-27 00:57 | 日本史 研究中

マイ列伝 まとめ 11~15

一日一人、Twitterで展開してる文字数ギリギリで日本史上の人物を紹介するまとめ。

15. 大村益次郎 1824-69
周防の人。村田蔵六。大坂適塾に学び、郷里に戻って村医となる。桂小五郎に見出だされ長州藩に出仕。四境戦争は石州口を指揮して勝利し、上野戦争では彰義隊を一日で壊滅させる。維新後は兵部省で陸軍の創設にあたるが、京で刺客に襲われ、後に死去。

14. 徳川慶喜 1837-1913
水戸の人。一橋家の養子となり、聡明さから将軍家定の後継者争いに担がれる。安政の大獄で謹慎したが、許されると政情不安から将軍後見職に就任。禁門の変を鎮圧し、長州征伐も指揮。将軍となると神戸開港、大政奉還を成し、江戸を戦火から守った。

13. 伊達政宗 1567-1636
出羽米沢の人。通称・独眼竜。幼少の頃に疱瘡によって片目を失う。家督を継ぐも父・輝宗が誘殺されると四方を敵に戦う。摺上原の戦いに勝利し、奥州をほぼ手中にするが、豊臣秀吉の勢力の前に降伏。秀吉の死後は徳川家に仕え、仙台藩の礎を築く。

12. 足利尊氏 1305-58
足利初代将軍。鎌倉幕府に反旗を翻し、六波羅を攻撃。建武の親政後、中先代の乱では勝手な行動で朝敵となるが、北朝の支持を得て復帰。湊川の戦いで楠木正成を倒し、後醍醐天皇を追い落とす。やがて室町幕府内で弟の直義と対立。南北朝争乱の中、没す。

11. 平清盛 1118-81
平安末期の人。保元の乱で頭角を現し、平治の乱で源義朝を倒す。武家初の太政大臣となり権力を掌握。後白河法皇が復権を図ると(鹿ヶ谷事件)、幽閉して孫の安徳天皇を即位させる。法皇の子・以仁王が源氏らを蜂起させ、敗報が続く中で熱病死する。


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by hossynoblog | 2015-09-25 01:58 | 日本史 研究中