いよいよ新潟を離れる時が近付いてきました。 早ければ25日(金)に。そうすると、あるイベントに行けないのですが。遅くなれば行けます。 パソコンが移動になるので少し早いですが、ごあいさつを兼ねて。 仲間たちへの僕の最後の想いは一個前の記事「風の名前」でやったので、この記事は自分のことを書こうと思います。 舞台屋織田組、日本史ワークショップにマイ列伝など、いずれも次に向けて区切りをつけられたわけですし。 長かったですねえ、18年間。前の4年を入れると22年間。 こないだ母が「あんたがこっち(実家)にいる時間より新潟の方が長くなっとる」と口癖のように言うので、 僕の返しは「戻ればすぐ取り戻せるよ」と、いつものヤツで応戦します。 そんなわけで親孝行します。 もし時を18年戻して、実家で安穏に過ごしていれば、避けられたこともあったし、家族が幸せな時間がもっとあったかもしれない、とは思うけども。 何年か前にいろんなことが起こり過ぎた時、あの時した後悔は僕に強烈な痛みを与えました。本当大変だったので。 もはや時間がない。ここで戻らなければあの時の比でない、一生ものの後悔が襲ってくる。 だからそれをしたくないから、戻ります。 僕は愛情を注がれて育った。そのことを疑うことはないので。 もう一つのif。あの時に新潟でなく東京を選んでいたらどうなっていたか。 これは、もっと早く帰っていた、が答えでしょうかね。 新潟が僕に合っていたことは間違いありません。 なんといっても周囲の仲間が、それは舞台演劇、仕事関係共にめぐまれた存在であったことが大きいです。 特にこの1~3年の出会いや再会には大切なものをたくさんもらった気がします。 舞台演劇での最後の稽古二つ。あれはそのお礼です。 全力でやらせてもらえて、やりきった感あるので、なんだかまた大切なものをもらった気分ではありますが。 ともかく、感謝と共に。 ここ新潟に来たこと自体に後悔はありません。 ただ帰るタイミングをずっと間延びにしてしまったから、時間と共に重くのしかかる後悔が避けられなくなった。 そんなところなんでしょうね。 でもまた会えると思います。 こないだも書きましたが、また会えるのが人生です。 だから、いつかまた会いましょう。 それまで皆さん、ご健勝に。 グッド・バイ、新潟。 #
by hossynoblog
| 2018-05-21 22:19
| つれづれhossy
まだ2週間あるというタイミングですけども、やっときます。 さてさて、5月です。 実家に戻ると決めてからもうすぐ1年です。 そう決めてから、いろんなことをして、いろんなことを完結させて、1年が経とうとしています。 結果からすると、やりたいこともやっておきたいこともみんなやり尽した気がします。 そしてやっとかなきゃいけないことはもれなくやっておきました。 あるとすれば、忘れているか、言われないと気付けないか、そのどちらかです。 言いたいことはすでに、表明した時に、あるいは月刊ウインド誌面で、時に稽古ほかで言ってきました。 だから本当ここいらでよい感じです。 来た時に抱いていた最初の夢みたいなものはほとんどかないませんでしたが、前に比べれば、はるかに安心して去ることができます。願うことのほとんどがかなってくれる気がするからです。 あとなによりその後に思い描いた夢はおよそ実現してるし、させてきた。幸福でした。 よって、あとはメッセージを伝えていきたく思います。 まず、後継いでくれそうたち(なんだこの呼び名w)。高田のお兄ちゃんと杉ちゃん。 歴史劇と文学劇の火を絶やさず、二人それぞれのやりたい形で、面白いと信じることを、誠心誠意、真摯に表現し、届けていってください。 特に舞衆一ノ太刀は僕にとって夢の箱ですから。今の8人は僕の思う次世代のホープです。 僕の想いが火となって二人それぞれに入り、大きな炎になってくれたなら幸いです。 いつか二人が手に手を取って大きな唸りを起こしてくれる日を、待っています。 次に、みゆうさん。 周りの反応や嫉妬を気にせず言いますが、最大の期待をしています。そして、約束したことはすべからく守ります。 僕や姐さんたちがずっと望んでいる大女優に必ずなって、演劇文化を牽引していってください。これは、願いです。 かねまささん、たかひさくん、淳之介さん。 後進の子たちを見守り、時に鼓舞し、たまには助け、カッコいい背中を見せつけながら、それぞれが己が道に敵なしとまでに邁進していってください。 特に淳之介さん、最後の「息子」をよろしくお願いいたします。 それから内娘たち四人。 結婚したえみことにゅっきは更に、更にで幸せになっていってほしいと願っています。 そして、ササマキとじぇしかがこの先、幸せになっていくことを願っています。 そんな二人には僕から「特に」の「ごめん」を。言い訳がましいけど、いろいろ萌芽は残せたと思う。 とにかく娘たちには内外問わず、人生をひた走れ、振り向くな!と。 あ、でも時々は自分のしてることちゃんと確認なさい(笑) 最後に組長、石上姐さん、大竹姐さん。 本当に出会えて、ご一緒できて、その才気と才幹に触れられて、それでいて僕のたくさんの想いに応じ、答えてくれて、ありがとうございました。心底より。 僕の弟子や娘たちを守っていってくれると嬉しいです。 そして、またいつか。そう、またいつか。 いや、はっきり言っておきますなり。 姐さんたち二人が再びできるとなった時、僕は戻り、舞台屋織田組は再開すると。 さて、もっと伝えたい方はたくさんいますが、際限がないのでここまでに。 また帰る直前にでも個々で欲しがってもらえたらいいですね(笑) 加えてこれが、僕からみなさんへの。 僕たちが面白いと信じたことに間違いはありませんでした。それは確実に継承されています。 すべては次代のために、と僕はちゃんと育てておきましたよ。だから大丈夫。 ↑ほぼ石上姐さんの言葉と同、ですけど。 僕は僕の風を巻き起こして、文化を作り、守り切りました。 結局、最後はそういうことだったんです。 新潟は最強の日本史頭脳を失うことにはなりますが……(笑) 新潟の舞台演劇、文化に失望も絶望も抱かなくて結構。 次代を迎えることでますますその華は大輪となっていくことでしょう。 何事も真摯に、真剣に、丁寧に。 ではあと数日ありますが、「忘れないうちに」でのあれやこれやも書いておきました。 それから、また会えるのが人生ですので。 皆さん、また会いましょう! #
by hossynoblog
| 2018-05-11 19:23
| 舞台屋 batch
2005.4 織田組、結成 2006.3 ① R-eN -アールエン- 終演後、屋号を「舞台屋織田組」に改称 2006.12 ② 天より落つる -岡田以蔵伝- 助演男優賞・助演女優賞 2007.6 ③ Words -ワーズ- 大賞・主演男優賞・主演女優賞・装置賞 2008.2 ④ 覇王幼武(はおうワカタケル) 助演女優賞 2008.11 ⑤ 椿説 夜叉ヶ池 主演男優賞 2009.8 ⑥ 濃姫夢幻蝶 主演男優賞・主演女優賞・助演女優賞 2010.3 ⑦ 花と散るらん 2011.3 ⑧ Words -ワーズ-(再演) 2011.12 ⑨ クリスマス・キャロル 助演女優賞 2012.8 番外1 Beginning -ビギニング- 2012.9 結婚式 二次会余興 2012.12 習作1 高瀬舟 2013.4 習作2 班女 2013.9 ⑩ 草迷宮 新人女優賞 2014.5 ⑪ ジュウベイ!地の章 2015.8 ⑫ 真贋・四谷怪談 主演男優賞 2015.12 習作3 葉桜と魔笛 2015.12 日本史ワークショップ 全15回 ~2018.3 2016.7 ⑬ 太宰、その最後の愛人 大賞・助演女優賞・装置賞 2017.5 ⑭ 妙林尼 攻防鶴崎城 2017.10 最初で最後の演劇ワークショップ 2017.11 舞台屋織田組の脚本読もうの会 第2回は2018.3 2018.3 舞台屋織田組 活動休止 #
by hossynoblog
| 2018-03-31 22:45
| 舞台屋 batch
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